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東京地方裁判所 昭和37年(行)61号 判決

原告 下高原虎龍

被告 大蔵大臣・国

訴訟代理人 青木康 外三名

主文

原告の被告大蔵大臣に対する別紙第一目録記載の各外貨債有効化申請について、同被告が昭和三七年四月三日蔵理第二七五八号をもつてした拒否処分を取り消す。

被告国は、原告に対し金一五万ドル及びこれに対する昭和一八年六月一六日以降昭和二八年六月一五日まで、昭和三七年六月二四日以降右完済に至るまで各年六分の金員を支払え。

原告の被告国に対するその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  原告

(六〇号事件につき。)

主文第一項同旨。

(六一号事件につき。)

被告国は、原告に対し金一五万ドル及びこれに対する昭和一六年一二月一六日以降右完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

(両事件につき)

訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告ら

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二原告の主張

一  請求原因

(一)  原告は一八八二年(明治二二年)鹿児島県指宿郡指宿村に生れ、土地の中学校を卒業後一九〇八年、一九歳の時カナダ、バンクーバーで医師を開業している兄を頼つて同地におもむき、一九一四年帰化してカナダ国籍を取得した。そして一九一四年、第一次世界戦争の頃からバンクーバーにおいて金融業をはじめ、ついで日本雑貨の輸入販売(ミカドコンパニー)、高級婦人服の製造卸小売(モデストリミテツド)、不動産売買業等事業を拡大して産を成した。一九三〇年(昭和五年)の前後数年の間に数回にわたつて別紙第一目録記載の東京電燈債(以下、本件東電債という。)額面合計一五万ドルをバンクーバーにおいて、ブラウンアンドコンパニー(証券業者)外数名から買い入れ、バンクーバー、グランビルストリート四五〇のモデストリミテツドの店の金庫に保管していたが、その利札はバンクーバーの銀行でカナダドルに現金化したり、また合衆国シアトルにおもむき、横浜正金銀行或いは住友銀行などにおいてアメリカドルで受領したほか、日本に送金してもらつたりしていた。一九三五年頃妻とともに数カ月の世界旅行をする計画で、その旅行費一万ドルをジヤパンカナダトラストアンドセービングスコンパニー(日加貯蓄)から借り受け、その担保及び旅行中の利札金受領手続委託の趣旨で右東電債を右コンパニーに対して預託し、その後借入金は返済したが、東電債はそのままにしておいたところ、右コンパニーは利札を換金し、原告に現金で交付したり、また原告のコンパニーに対する預金とし、或いは日本に送金していた。第二次世界戦争が始まつた一九四一年(昭和一六年)一二月頃、原告は右コンパニーの会計係原赳雄から本件東電債の返還を受け、モデストリミテツドの金庫に保管していたところ、一九四二年(昭和一七年)カナダ政府の強制によりモントリオールに移転するに際し、これを他の債券類と同様にスーツケースに入れて持参し、同年四月からはカナダ銀行モントリオール支店、翌一九四三年九月からは同銀行のモントリオール市セントカタリン及びメトカルフヱ街支店の各保護預り金庫に保管してきた。なお、利札は一九四一年六月分まで受領したが、同年七月になされたアメリカ、カナダ政府の対日資産凍結により同年一二月からは受領していない。

(二)  以上のとおり、本件東電債は原告の所有するものであり、原告が買い入れて後日加貯蓄に預託した外、原告の占有を離れたことがないのに、訴外原赳雄、同則武貞吾、同小玉源一は、原告に無断で、本件東電債がそれぞれ別紙第二目録第一、第二、第三記載のとおり、同人らの所有に属するものとして、外貨債処理法施行規則第九条に基づき、昭和一八年三月三一日付で大蔵大臣に対し右東電債の所有証明書の発給申請をした。この申請は、証拠不充分の理由で認められないでいたが、さらに昭和二〇年二月一九日付で、右三名から、再度、所有証明書の発給申請が行なわれたのに対し、大蔵大臣から、原、則武、小玉らが別紙第二目録記載のとおり本件東電債の所有者であることを証明する「外貨債の所有並びに所有証券証明書」が交付され、同人らはこれを添附し、外貨債の発行者の承継者たる政府に対し、外貨債処理法第二条に基づき借換えの承諾書を提出したので、本件東電債はいずれも昭和二〇年一〇月三一日日本銀行神戸支店取扱臨時登録三分半利国庫債券セ号甲種登録なる登録国債に借り換えられた。

(三)  しかし、右の借換えに当つて、本件東電債の発行者(その元利支払義務の承継人たる政府)は、右述のように、原、則武、小玉らが右東電債を所有するものとして、その承諾を得たが、その真の所有者である原告の承諾を得なかつた。そして借換えに際し、本件東電債につき穴あけ、記載事項のまつ消その他当該証券を無効とする行為も行なわれていない。そこで、原告は、本件東電債が借り換えられて邦貨債となつていることを知つた後、昭和三〇年八月ニユーヨークの弁護士モルトンザツカーマンを代理人として、大蔵大臣に対し「旧外貨債処理法による借換済外貨債の証券の一部の有効化等に関する法律」(以下、有効化法という。)第三条第一号により、本件東電債の有効化を申請したが、昭和三一年三月申請を拒否されたので、さらに、昭和三六年三月九日有効化の再申請をしたところ、同年四月三日蔵理第二七五八号をもつて、この申請も拒否された。しかしながら、右の拒否処分は違法であるから取り消さるべきである。すなわち、本件東電債は無記名持参人払の債券(ベアラーズボンド)であるから、原告がこれを長年占有する事実によつても、原告の所有を推定すべきである。もつとも、昭和二〇年の借換え措置により本件東電債は無効となつたから有価証券理論は適用されないとの反論も考えられるが、借換え措置の行なわれる当時においては有価証券であつたから、少くとも、当時原告が所有者であつたことを推定すべきであり、その後原告から他人への権利の異動が認められない限り、現在、原告を所有者と認めなくてはならない。そして、原告の本件東電債に対する所有権の推定を覆すべき何らの証拠もないのであるから、被告大蔵大臣は原告の有効化申請を容認すべきであつたにかかわらず、これを拒否したから、この処分は違法というべきである。

(四)  原、則武、小玉らは、本件東電債の借換えに際し、本件東電債を投資のため購入し、日米開戦により交換船で帰朝するに先だち昭和一八年四月二〇日頃原告に預託した旨、大蔵大臣に対する外貨債所有証明書発給申請書に記載しているけれども、同人らにおいて、本件東電債を購入するような資力はなく、右はまつたく事実に反するものである。そして、原告は本件東電債の所有者であるところ、(イ)カナダ国籍を有する者であるから、外貨債処理法第二条第一項所定の命令をもつて定める者に該当しないし、(ロ)本件借換えは、原告の承諾なくなされたもので、かつ、(ハ)その大蔵大臣の外貨債所有証明書は非所有者の申請に基づき、非所有者に対して交付されたものであるから、借換え行為は無効といわねばならない。従つて、本件東電債は借換えがなかつたと同一に扱われるべきところ、外貨債処理法第九条第一項によれば同法第二条第一項の規定により借換えられるもの以外のものについては、政府が元利払義務を承継することになつている。

(五)  ところが前述のように、被告大蔵大臣は昭和三七年四月三日蔵理第二七五八号をもつて、借換えが有効であることを前提として、原告の本件東電債の有効化申請を拒否したため、原告は、事実上、権利の行使が不可能な状態におかれているので、(行)第六〇号事件において、右拒否処分の取り消しを求めるものである。

他方、問題の借換え行為が本来無効のものであることは右述のとおりであるから、有効化申請拒否処分が取り消されて有効化の行政措置が行なわれるかどうかにかかわらず、被告国は、前記外貨債処理法の規定により本件東電債支払の責に任ずべきことは当然である。よつて原告は、(行)第六一号事件において、被告国に対し本件東電債金一五万ドル及びこれに対する昭和一六年一二月一六日以降満期である昭和二八年六月一五日まで年六分の利息、同年六月一六日以降右金支払済みに至るまで同率の損害金の支払いを求めるものである。

二  被告の主張に対する反駁

(一)  被告国は、原告が同被告に対し本件東電債を呈示しないから遅延損害金を支払う義務がない旨主張するけれども、被告らは終始本件東電債が昭和二〇年一〇月の借換えの結果無効となつたとの立場をとり、また原告が本件東電債の所有者であることを否認しているのであるから、原告がこれを呈示したとしても支払を拒絶することは明白である。このような場合には呈示を要しないで、すでに弁済期限の到来した外貨債債務は履行遅滞に陥つたものと解すべきである。

(二)  仮りに、右主張が認められないとしても、前述のように原告は昭和三〇年八月、昭和三六年三月いずれも大蔵大臣に対し有効化法に基づき本件東電債の有効化の申請をし、また、昭和三七年六月一八日右有効化申請に対する被告大蔵大臣の拒否処分の取消しを求める訴を提起した。これらは、呈示は伴なわないがいずれも本件東電債につき被告らに対し公式に支払いを求める趣旨に外ならず、申請や訴訟の形式上呈示を伴なわなかつたのみであるから、呈示を伴なつた請求と同様に遅滞に付する効果を認めるべきである。呈示を伴なわない手形金請求訴訟の提起によつて遅滞に付する効果のあることは判例の認めるところであるから、無記名持参人払証券たる本件東電債の支払請求についても類推されるべきである。

第三原告の請求原因に対する被告らの答弁と反対主張

(一)  請求原因(一)のうち、原告が明治二二年鹿児島県指宿郡指宿村に生れ、原告主張の頃バンクーバーで医師を開業している兄を頼つて同地におもむき、その主張の頃帰化してカナダ国籍を取得したこと、バンクーバーにおいてモデストリミテツドという婦人服の販売店を開き、ある程度の資産を有していたこと、昭和一七年(一九四二年)三月頃カナダ政府が日系人に対し、太平洋海岸からの立退きを命じたこと、その頃原告がモントリオールにおもむいたこと、カナダ商業銀行モントリオール支店で保護預りの金庫を借り受けたこと(但し、借受けの時期が同年四月であつたとの点は除く。)、昭和一八年(一九四三年)九月からモントリオール市の同銀行セントカタリンメトカルフエ街支店の保護預りの金庫に本件東電債を保管したこと、及び原告が本件東電債の利子を従来受領してきていないことは認める。原告が土地の中学校を卒業したこと、大正三年(一九一四年)頃からバンクーバーで金融業をはじめ、ついで日本雑貨の輸入販売(ミカドコンパニー)、不動産売買業等の事業をしていたこと、及び原告がモントリオールに移動した際に本件東電債と他の債券類をスーツケースに入れて携行し、カナダ銀行モントリオール支店に保管したことは知らない。その余の事実は全部否認する。

原告は、本件東電債をブラウンアンドコンパニー(A、Jというイニシアルのつかない。)外数名の者から買い受けた旨主張するが、バンクーバーには原告主張のような証券業者が存在したことはない。又A、Jブラウンアンドコンパニーも一九二九年版BCデイレクトリーには記載されているが、一九三〇年(昭和五年)以降には存在しない。原告は、本件東電債の有効化申請の手続に際しては、これを第二次世界戦争前二〇年にわたつて少しづつ購入した旨述べているのに対し、本訴においては一九三〇年前後数回にわたつて買い受けた旨主張している。このように高価な購入物について購入先、購入時期、方法の主張があいまい、かつ、前後矛盾していることは、購入の事実の不存在を推認させるというべきである。さらに原告は本件東電債を担保として日加貯蓄から一万ドルを借り受けた旨主張するけれども、日加貯蓄はカナダ法人である関係からB、C州政府の監督が厳重であつたので貸付けがほとんど行なわれていなかつたし、また貸付けの担保としても日本社債のような外債をとることは許されず、担保としてはカナデイアンボンドか、カナダ政府の保証したボンドに限られていた。従つて、原告が日加貯蓄から一万ドルというような大金を借り受けたり、その担保として本件東電債を提供したということは到底考えられないことである。

(二)  請求原因(二)のうち、本件東電債が原告の所有に属することは争う。原告がこれを買い入れて後日加貯蓄に預託した外、原告の占有を離れたことがないとの事実は否認する。昭和一七年四月二〇日頃以降原告が本件東電債を占有してきたこと、及びその余の事実は全部認める。もつとも、原告が現に本件東電債を占有していることは不知。

(三)  請求原因(三)のうち、本件東電債が登録国債に借り換えられた際、原、則武、小玉らを右東電債の所有者として、その承諾は得たが、原告の承諾は得なかつたこと、借換えに際し、本件東電債に穴あけ、記載事項のまつ消その他当該証券を無効とする行為が行なわれていないこと、原告がその主張の頃二回にわたり、有効化法に基づき本件東電債の有効化申請をしたところ、被告大蔵大臣が原告主張の日いずれも申請を拒否したこと、及び本件東電債が無記名持参人払のベアラーズボンドであることは認めるが、その余の点は争う。

(四)  請求原因(四)のうち、原、則武、小玉らが本件東電債の借換えに際し、大蔵大臣に対する外貨債所有証明書発給申請書に原告主張のような事項を記載していること、原告がカナダ国籍を有すること、及び本件の借換えが原告の承諾なくしてなされたことは認めるがその余の事実は否認し、法律上の主張は争う。

(五)  原告は、本件東電債が無記名持参人払証券であるから、占有者をもつて所有者であると推定すべきであると主張する。なるほど、一般には無記名証券の占有者は権利者であるとの推定を受けるが(民法一八八条)、外貨債処理法(及び施行規則)の施行(昭和一八年三月)、後に本件東電債のように本邦内になかつた外貨債(以下、在外外貨債という。)については、当時の占有に法律上の権利推定力を認めるべきではない。すなわち、民法第一八八条が占有に権利推定力を認めたのは、占有が多くの場合真実の権利状態に符合する蓋然性を有するからであつて、発記を表象とする不動産物権については占有に権利推定の効果を認めるべきでないと解されるように、自らその適用範囲に限界が存するのであるから、特殊の領域において権利符合の蓋然性が、認められないような場合には、この規定を適用すべきではない。ところで、外貨債処理法施行規則第九条は、外貨債の借換えの承諾をする際に、当該外貨債証券が本邦内にないときには、在外外貨債について証券の代わりに大蔵大臣の所有証明書の発給を受けて、これを提出し借換えの承諾を申出ることができる旨定めている。このような規定がおかれたのは、太平洋戦争勃発前後頃から本邦外にある外貨債所有者であつて、所在国の証券持出し禁止のためやむをえず当該外貨債証券をその国内のしかるべきところに預託したまま本邦に引揚げてくる者が少なくなかつたのでその救済のためと思われるが、このことから在外外貨債のうちには真の権利者の占有を離れたものが少なくないこと、従つて、その頃の在外外貨債の占有は真実の権利状態と符合する蓋然性が一般的に低くなつていることが知られる。そして、外貨債の借換えに当り、在外外貨債については証券の提出に代えてその所有関係を大蔵大臣において調査の上、これについて証明書を発給し証券の代用とする取扱いが行なわれた。もとより右の規定をもつて一般的に証券の占有についての権利推定力を奪い、大蔵大臣の証明に対し同様の意味の権利推定力を付与する趣旨と解することは行き過ぎであるが、しかし、少なくとも右のような措置のとられた在外外貨債について、依然として、外貨債処理の関係で、大蔵大臣の証明に反しても占有に一般の権利推定力を認めることは、条理上極めて不当であるといわねばならない。従つて、このような場合、有効化法を含めての外貨債処理の関係法令の適用の場において、その処理機関に対し通常の証券占有の権利推定力を肯認することはできないというべきである。

(六)  被告らの本件東電債についての、権利の移転の経過に関する見解は次のとおりである。

本件東電債一五万ドルは、昭和の初年金解禁(昭和五年一月)より金輸出の再禁止(昭和六年一二月)までの間頃に、田村商会(田村新吉)がこれを発行元のガランテイ、トラスト、コンパニー、オブニユーヨークからいわゆる「ドル買い」として買い入れた蓋然性が高い。すなわち、本件東電債は昭和三年六月一五日の発行であるから金解禁、金輸出の再禁止当時存在していたし、田村商会(田村新吉)はこれを短期間に購入できるだけの資力を有していた。そして、当時「ドル買い」という歴史的事実があつたことは顕著な事実である。仮りに、ドル買いとして購入したものでないとしても、昭和三年に本件東電債が発行されてから昭和一一年田村新吉が死亡するまでの間に、同人がこれを右発行元から券面額をやや下廻る対価をもつて買い受けたものである。田村商会は、本件東電債を購入後、神戸の本店でこれを保管していたが、昭和一一年田村新吉が死亡し田村亨が家督相続した後、間もなく管理処分の便宜上その保管をバンクーバー支店に移し(ドル債であるから処分し易いバンクーバーにいわば逃避させた。)、支店支配人小玉源一または則武貞吾が交替で田村亨のためにこれを占有することとなつた。附着の利札は、毎年六月一五日及び一二月一五日の直前頃、シアトルの銀行を介して、ガランテイ、トラスト、オブ、ニユーヨークに取立を依頼し、取立金は横浜正金銀行を通じて田村商会本店に送られていた。

その後本件東電債は、原赳雄、則武貞吾、小玉源一の三名に信託的に譲渡された。すなわち、本件東電債の保管が田村商会バンクーバー支店に移された直後、日華事変がはじまり(昭和一二年七月)、ほどなく田村商会でも、当主田村亨が応召するという事態が生じたので、バンクーバー支店に保管されていた本件東電債についても、日本国にあつて、しかも軍籍にある所有者亨のために、より合理的な管理処分方法が考慮されていたところ、国際情勢がますます急を告げるに至り、欧州戦争勃発(昭和一四年九月一日)前後には、カナダ国の為替管理局に外債証券を届け出るべき義務を課せられることとなつたので、本件東電債を田村とは別名義で隠匿保全する必要が生じた。そこで、その頃田村亨のためそのような状況下において合理的、かつ機動的に管理(カナダ政府等に対する関係で所有者としての責任を引き受けるため、軍籍にある田村に対するドル買の非難を免れさせるため等)または処分(利札の取立の便宜のため((取立人を権利者とする方が手続的に便宜であるから取立のための債権譲渡が行なわれた。))、或いは証券売却による換金の便宜のため((所持人を所有者としておいた方が処分し易い。)))を行なえるように、本件東電債一五万ドルは田村亨から(田村商会の支配人によつて)小玉源一に六万ドル分、則武貞吾に五万ドル分、原赳雄に四万ドル分それぞれ信託的に譲渡されるに至つた。

太平洋戦争勃発後、バンクーバーでは日本人、日系人の立退きが計画されていたが、則武、原は(小玉は則武と交替して前年すでに帰国していた。その際、本件東電債中自己の六万ドル分を後に残つた則武に寄託した。)これと並行して交換船による引揚げの行なわれることがほとんど確定的であることを知つたので、従来原と親しい間柄にあつた原告に依頼して本件東電債を保管してもらうこととして、昭和一七年四月二〇日頃バンクーバーにおいて、本件東電債一五万ドルを原告に預けた。

(七)  なお、仮りに、原告主張のように本件東電債の借換えが無効であり、これが現在も有価証券としての効力を有するとしても、原告の本件東電債、元本債権に対する遅延損害金の請求は証券の呈示がないのであるから失当である。そして、仮りに、原告主張の金員を被告国が支払う義務があるとしても、右支払義務は、原告の本件東電債の返還義務と同時履行の関係にあるから、原告において右義務を履行するまで被告国は右金員の支払いを拒絶する。

第四証拠関係〈省略〉

理由

一、原赳雄、同則武貞吾、同小玉源一が昭和二〇年二月一九日大蔵大臣に対し、同人らにおいて本件東電債をそれぞれ別紙第二目録第一ないし第三記載のとおり所有するものとして、外貨債処理法施行規則第九条に基づき、外貨債所有証明書の発給申請をし、その発給を受けて、これを添付し、外貨債発行者の承継者たる政府に対し外貨債処理法第二条に定めるところに従つて承諾書を提出した結果、同年一〇月三一日本件東電債が原告主張のような登録国債に借り換えられたことは、当事者間に争いがない。

本訴(六〇号事件、六一号事件を通じて)の主な争点は、本件東電債の所有者が本来、原告であつたにかかわらず、何んらかの事情により、原告に無断で、原、則武、小玉らが同人らの所有に属するものとして外貨債処理法第二条に基づく借換えの承諾をし、借換えの手続を行なつたものであるか、それとも、同人らが右東電債の所有者であつて同人らの承諾の下に右借換が適法に行なわれたものであるかどうかの点であるところ、本件の東電債が無記名の持参人払証券であること、及び昭和一七年四月二〇日頃以降少なくとも、本件東電債について問題の借換えが行なわれた当時原告がこれを所持していたことは、当事者間に争いがないから、右借換え当時において、原告が本件東電債の所持人として権利者と推定され、従つて、当時において、右東電債の所有者が原告ではなく原、則武、小玉らであつたと断定するに足りる証拠がないかぎり、右東電債は原告の所有していたものと認めらるべきことは、この債券が無記名の持参人払の有価証券であることの性質から生ずる当然の法理であるのみならず、民法第八六条第三項、第一八八条の規定によつても当然生ずる結論であるといわねばならない。この点につき、被告らは、(イ)外貨債については、外貨債処理法施行当時在外外貨債所有者が外貨債証券を本邦外に預託して本邦に引き揚げてきた事例が少なくなかつたことから、その頃の在外外貨債の占有には真実の権利状態と符合する蓋然性が一般に低くなつていること、(ロ)借換えに当たつて在外外貨債について、証券の提出に代え大蔵大臣の所有証明書が発給されていることの二点から、このような場合に外貨債処理の関係では証券の占有に権利推定力を認めるべきでないと主張する。しかしながら、無記名持参人払証券の所持人をその権利者と推定すべきことの法理ないし民法第八六条第三項、第一八八条の規定は、この種の証券の流通を確保し、その性質にふさわしい権利の行使に支障なからしめるために認められるものであつて、権利の推定が、その効用を発揮すべきことが期待されているのは、証券の所持者と非所持者との間で、いずれが真の権利者であるかを断定するに足りる証拠が存在しない場合であるところ、仮りに問題の借換えが行なわれた当時、一般的に、被告が(イ)において主張するような事情が存在していたとしても、本件の場合のように、原、則武、小玉らが右東電債の真の所有者であつて、これを原告に預託して本邦に引き揚げたものであるか、それとも、原告が当時証券の真の所有者であつたが故にこれを所持していたものであるか、そのいずれであるかを断定するに足りる証拠を発見し得ない場合(本件の場合がそのような場合であることは後に述べるとおりである。)がおこり得るわけであつて、かようなときこそ、まさに、権利の推定がその本来の効用を発揮すべきことが期待されている場合にほかならないから、被告が(イ)において主張するような事情が存在したということが、権利の推定を覆えす一つの根拠となり得るのは格別、単に、一般的にかような事情が存在したということだけで、ただちに権利の推定が排除されると解するのは相当でない。また、大蔵大臣の所有証明発給に関する外貨債処理法施行規則第九条第三項の規定は、もともと、現に証券を所持しない者でも、大蔵大臣の所有証明があるときは、借換えの関係においては、証券所持者と同様に権利者として取り扱うとの趣旨から出たものであつて、借換えの関係において、証券の所持者を差し置いて、大蔵大臣から所有証明の発給を受けた者のみを権利者として取り扱う趣旨を定めたものでないのみならず、大蔵大臣の所有証明発給の手続は、行政上の便宜手続にほかならず、争いのある権利関係を判定するにふさわしい手続としての実質をもつものとは考えられないので、大蔵大臣の所有証明が発給されたことを根拠として、無記名証券の所持者に認められる権利の推定が排除されると解することは相当でない。それ故、本件の場合、権利の推定が働かないとする被告らの主張は採用できない。

二、そこで、以下において、問題の借換えが行なわれた当時、本件東電債の所有者が原、則武、小玉らであつて原告でなかつたと断定するに足りる証拠があるかどうかを検討する。

(一)  成立に争いのない乙第二、第一〇、第二二号証の各一、二(いずれも、外貨債の所有並びに所有証券証明申請書、及び添付誓約書)には、「小玉源一、則武貞吾、原赳雄の三名が、カナダ在住中それぞれ別紙第二目録記載のとおり本件東電債を、昭和八年から一〇年まで(小玉)、昭和八年から一一年まで(則武、原)の間、数次にわたり投資のため買い入れた、取得の証拠書類は大東亜戦争勃発の時他の書類とともに焼却したり、または日米交換船で帰朝に際し、カナダ国外に持出し困難なため焼却する等全部処分した」旨、及び証券の寄託先を原告方とした記載と所有証明書発給に関する誓約文言とが記載されており、証人小野勇の証言により原赳雄、則武貞吾の作成したものと認められる乙第二、第一〇、第二二号証の各三には田村亨名義で別紙第二目録記載の外貨債がいずれも、原、則武、小玉のものであることを保証する旨の保証文言が記載され、さらに、証人小玉貞、同原柳子、同則武節の各証言により真正に成立したものと認める乙第三号証には、覚書として一九三九年(昭和一四年)八月二四日に原、則武、小玉らが本件東電債をそれぞれ別紙第二目録記載のように四、五、六の割合で所有することを互に確認する旨の記載がある。しかしながら、原、則武、小玉らが投資のため本件東電債を買い入れた旨の乙第二、第一〇、第二二号証の各一の記載は、本件東電債は田村新吉が「ドル買い」として若しくは投資のためこれを買い受けたものである旨を被告らにおいて自認しているところから考ても、その記載内容どおりには信用することのできないものであり、乙第二、第一〇、第二二号証の各三の田村亨名義の保証書は、同人の証人としての供述によれば、同人の不知の間に作成されたものと認められ、乙第三号証は、第二回目の所有証券証明申請に際し日付を一九三九年(昭和一四年)に遡らせて作成された疑いがあることは後に判断するとおりであるから、前記乙各号証だけでは、本件東電債が問題の借換え当時原告の所有でなかつたものと認めることはできない。ことに、本件において、後に述べるようになんらかの事情、たとえば、外貨債処理法による借換えの対象とならない外貨債(本件東電債がカナダの国籍を有する原告の所有に属していたものとすると、同法第二条、同法施行規則第六条、外国人関係取締規則第一条第一項に基づく大蔵省告示「指定国の指定について」(二)によつて、本件東電債は借換えの対象とならないこととなる。)の先行きの運命に不安がもたれたところから、原、則武、小玉らが原告に無断で、原告の財産を保全する趣旨において本件東電債を同人らの所有するものとして借換えの手続を行なつたというような事情の可能性を想定すれば(かような可能性が想定されることは後に述べるとおりである。)、問題の借換えに際して、前記乙各号証のような書類が作成されていることは異とするに足りないところであるから、右乙各号証は、それだけでは、右借換え当時、原告が本件東電債を所持していたことによつて認められる権利の推定を覆えして、右東電債が原、則武、小玉らの所有であつたことを断定するに足りる証拠となり得るものではなく、これらの証拠は、爾余の証拠、とくに、右三名が本件東電債を所有するに至つた原因、経路に関する証拠その他借換えが行なわれる前において右三名がこれを所有していたことを証明する証拠と相いまつて、初めて、本件東電債が原告の所有でなかつたと断定する資料となり得るに過ぎないといわねばならない。

(二)  そこで、進んで前掲乙各号証以外の証拠を検討する。

(1)  被告らの主張では、本件東電債一五万ドルは、昭和の初年に田村商会田村新吉が、これを発行元のガランテイ・トラスト・コンパニー・オブ・ニユーヨークからいわゆる「ドル買い」として、或いは単に投資のため券面額をやや下廻る対価で買い受けたもので、昭和一一年田村新吉が死亡した後バンクーバー支店に移し、その後原、則武、小玉にそれぞれ四、五、六の割合で信託的に譲渡されたというのであつて、なるほど、昭和初年にいわゆる「ドル買い」の行われたことは歴史上公知の事実であり、証人大山茂樹の証言によれば、田村新吉の個人経営にかかる田村商会は、当時、神戸において有数の資産家であり、バンクーバーにおいても少なからぬ資産を有していたことはこれを認めることができるが、本件において田村新吉が「ドル買い」として若しくは投資のため本件東電債を買い入れたことを認めるに足りる証拠は証人小野勇の「本件東電債は田村商会により、日本においてドル買として購入され、田村新吉の死亡後、神戸から小玉が則武と交代のためバンクーバーに来た際運んできたもので、処分し易いようにバンクーバーに逃避させた」旨の証言を除いては、何一つ存在しないところ、同証人の右証言も、同証人自身が述べるように何んら具体的な根拠に基づくものではなく、同証人の想像の範囲を出ないものであるから、到底採用することはできない。なお、同証人の証言のうちには「本件東電債は、日加貯蓄の名義であつたか、田村商会の名義であつたか覚えていないが、カナダ銀行バンクバー支店に二つの保護預り箱を借りていて、その中に日加貯蓄のカナデイアンボンドと一緒に入れてあつた、カナデイアンボンドは問題がなかつたが、ドル貨債の方は、カナダ在留人で外貨をもつている者は登録しなくてはならないのに、登録してなかつたので保護預り箱の中に隠したかつこうで入れてあつた、戦争が始まり敵産管財人などの監督も厳しくなつたので、則武がその保護預り箱から東電のドル貨債だけを取り出し、自宅にもち帰つたり一時は日加貯蓄の金庫の中に置いたこともあつた、ほとんどは則武の自宅の方にもつて帰り、その処置については則武が随分と心配していた、その後、則武の家にもつて帰つた、そのボンドは、同人が自宅の地下に油紙に包んで埋めていたが、いよいよ帰国することになり、これを原告に預けて帰つたと聞いている、証券は油紙に包んで地下に埋めたが水が滲み込んで大部文字などに滲みがでてきたと則武が話していた」旨の供述及び同証人の証言により真正に成立したものと認める乙第三三号証の一、二にも右供述と同旨の記載があり、これらは、一応被告の主張を裏書するもののように見えないではない。しかし、(この点については、右乙第三三号証の一、二の記載から明らかなように、被告ら代理人青木康が、小野勇について右の事実を調査したのが昭和三八年二月四日であつたため、同月二日に行つた原告本人尋問の際に、原告に対して右の事実につき、細かく尋ねることはできなかつたとはいえ)成立に争いのない甲第一〇号証の一(カナダ・インピリアル・バンク・オブコマース・セント・キヤスリン・メトカルフエ支店・マツキユーン支店長の公証人に対する宣誓供述書)の「本件東電債一五〇枚は何んらの汚損もなく、水ぬれの痕跡もない」旨の記載、成立に争いのない甲第一一号証の三(原告の証明願に対する在モントリオール総領事田村幸久の証明書)の「本件東電債証券に水による汚損のないことを確認する」旨の記載及び本件東電債であることにつき争いのない検甲第一ないし第一五〇号証の検証の結果によつても証券面に水ぬれによる文字のにじみその他汚染を確認できなかつたことから判断すれば右の小野勇の証言及び乙第三三号証の一の記載中証券の水ぬれ云々に関する部分は到底採用することのできないものであり、右小野証言には、すでにこのような明白な事実についての誤りを含んでいること、その他同証言及び右乙号各証の記載は想像、推測ないし伝聞に基づくものと認められる部分が少なくない上、被告らの主張に迎合したと疑われるふしもあるところなどから考えて、右小野証言及び乙号証の記載は、全体として無記名証券の所持者に認められ権利の推定を覆すに足りる証拠として採用するには値しないものである。

(2)  前掲乙第三号証には、前述のように、原、則武、小玉らが本件東電債を四、五、六の割合いで所有することを互に確認する旨の記載があり、その作成日付が一九三九年(昭和一四年)八月二四日となつている上、証人小野勇の証言によれば右乙第三号証の用紙は、田村新吉の存命中バンクーバーの田村商会で使用されていたものと同型式のものと認められること、若し、原告主張のように、本件東電債が原告の所有であつて、一時日加貯蓄に預けられ、原、則武らが太平洋戦争の開戦後本邦に引き揚げる前にすでに原告の手に返還されていたものとすれば、原告らが本邦に引揚げ後大蔵大臣に所有証券証明の申請をするに当つて、もはや証券の番号を知る手掛りをもたなかつたと考えるのが自然であると思われるのに、前掲乙第二、第一〇、第二二号証の各一によれば申請書には正確な番号が掲げられていること、しかも、証人富岡熊造の証言により、同証人が右申請につき証憑調査を行なつた際の記録と認められる乙第三七、第三八号証に「サイン切取リノミ」、「番号ハ暗号ニテ持帰リ」等の記載があり、これが真実とすれば、原、則武らは引揚げに際し証券の番号や寄託の証憑を持ち帰ることに腐心していた様子がうかがわれること、以上の諸点は、一応、被告の主張に有利であるように見える。しかし、前記乙第二、第一〇、第二二号証の各一、同第三七、第三八号証、成立に争いのない乙第三九号証、同第四九号証によれば、問題の乙第三号証は第一回目の所有証券証明申請(その時期が昭和一八年三月であることは当事者に争いがない。)に際して証憑として添付されたものではなく、その後、偶然のことから昭和一六年七月本邦に帰還した小玉の持帰り書類の中から、これが発見されたと称し第二回目の申請に初めて添付されて提出されたものであることは明らかであるところ、前記乙第三七、第三八、第三九号証及び証人富岡熊造の証言によれば、乙第三号証のような証憑が存在することについては第一回目の申請に際してはなんら申述がなかつたと認められること、しかも、第二回目の申請が是認されたのは、当局が乙第三号、同四九号証を必ずしも絶対的に信頼したことによるものでないことは、右申請を是認するに際し、とくに、田村享名義の保証書(乙第二、第一〇、第二二号証の各三)を徴していることからもうかがわれるのであるが、前述のように右保証書は同人の不知の間に作成されたものと認められることから考えれば、乙第三号証は、同第四九号証とともに第二回目の申請に際して、ことさらに作成されたものであるとの疑を否定できないこと、後に述べるように、本件東電債は数年間田村新吉(田村商会)の経営する日加貯蓄に預託され、その間同貯蓄において原告のため利札の取立を代行し利札金を本邦に送金していたこと等の事情から、原らが本邦引揚げ後に証券の番号を知る手掛りがあつたとも考えられること、証人小野勇の証言によれば、乙第三号型式の用紙は、もともとバンクーバーの田村商会で使用されていたものであるが、神戸の同商会本店にも白紙で送られており、田村新吉の死後も使用されていたと認められ(もつとも、右用紙は新吉の死亡後二、三年間使用されていたとの同証人の供述は、使用されていた期間に関するかぎり、正確なものとは思われず採用できない。)、同証人自身も乙第三号証は日付を遡らせたものではないかとの疑いをもつていることがその証言からうかがわれること、以上諸点から考えれば、乙第三号証は第二回目の所有証券証明申請に際し日付を遡らせて作成された疑いの濃いもので、無記名証券の所持者に認められる権利の推定を覆すだけの有力な証拠とみることはできない。また、原らが証券の番号を知つていたということも、右述のように、原、則武らが引揚げ後本邦において証券の番号を知り得る可能性があつたことを否定できない以上、これだけの事実をもつて権利の推定を覆す根拠とすることは困難であるといわねばならない。さらに、乙第三七、第三八号証の「番号ハ暗号ニテ持帰リ」「サイン切取リノミ」等の記載についても、当時の担当係官に対する原、則武らの証券番号を暗号で持ち帰つた旨の申述は、担当係官によつても信用されていなかつたことは同号証の「証明書発給可否並理由」欄に「不可」とあることからもうかがわれるところであり、「切取リサイン」も、現在においては、もはやこれを確認する由しのないものであるのみならず、そもそも、証明書発給の手続は(当時の状況下ではやむをえないことであつたとはいえ)争いある権利関係の一方の当事者の申述と証憑の提出にのみ基づいて行なわれた行政上の便宜手続であつて、証券を所持し権利者と主張する原告になんらの主張立証の機会を与えないで行なわれたものであることから考えれば、右乙第三七、第三八号証を権利の推定を覆すきめ手となる証拠と評価することはちゆうちよされるところである。

(3)  成立に争いのない乙第四一号証の一により真正に成立したものと認める同号証の四ないし六によると、本件東電債の利札のうち昭和一五年一二月分と昭和一六年六月分がシアトルで取り立てられ小玉源一の当座預金口座に入金されている事実を認めることができるが、後に述べるように、昭和一五、六年当時、原告が本件東電債を日加貯蓄に預託し、利札の取立や利札金の内地への送金を依頼していたというような事実の可能性を考えれば、右取立業務等のために、便宜上、小玉の当座預金口座が利用されたに過ぎないとも考えられるので、これだけの事実によつて、ただちに、本件東電債が小玉らの所有でないと断定することはできない。そのほか、成立に争いのない乙第四五号証の一により真正に成立したものと認める同号証の三、前掲乙第四一号証の一により真正に成立したものと認める同号証の七、成立に争いのない乙第四二号証の三、前掲乙第四一号証の六、成立に争いのない乙第四七号の一と同号証の三の二により真正に成立したものと認める同号証の三の一によると、昭和一六年六月一八日小玉源一の預金口座から金四、七〇〇ドルが金二万円に換えられ同月一九日神戸の田村商会に送金受領されたこと、前掲乙第四五号証の一により真正に成立したものと認める同号証の二、前掲第四一号証の七、同第四二号証の三、同第四七号証の一及び成立に争いのない同号証の二の二により真正に成立したものと認める同号証の一によると昭和一五年一二月一八日小玉源一の預金口座から金四、七〇〇ドルが金二万円に換えられ同月一九日神戸の田村商会に送金受領されたことを、それぞれ認めることができるが、この送金された日が本件東電債の利札の取り立てされた日と極めて接近しているとしても、その金額からみて(本件東電債の利子は一回四、五〇〇ドル)利札金がそのまま田村商会に送金されたと断定することはできない。ことに、前掲乙第四二号証の三、同第四三号の二によるとシアトルから横浜正金銀行神戸支店の田村商会当座預金口座には絶えず送金があつたものと認められるから、右の四、七〇〇ドル二口の送金が本件東電債の利札金であると断定することはできず、従つて右乙各号証も本件東電債が原告の所有でなかつたと断定するきめてとはなり得ないものである。

(4)  なお、証人小野勇の証言のうちには「乙第二、第一〇、第二二号証の各三(いずれも所有証券証明申請に添付された田村享作成名義の保証書)は田村享の指示若しくはその了解の下に作成されたものと思う」、「本件東電債については田村商会としては知らないことにしておきたいと感ずるに至つた」など、暗に原告と田村とが相通じ、本件東電債を原告のものとして有効化しようと図つているものの如くほのめかす部分があるが、兵庫県公安委員長の現職にある田村証人がかような詐欺に類する行為に加担していると軽々に断定すべき証拠は他に発見することができず、同証人の証言と対比すれば、小野証人の右証言は一つの憶測ないし想像の域を出ないものと認められるので、無記名証券の所持者に認められる権利の推定を排除すべき証拠としては、到底採用し得ないものである。

(5)  以上に検討した結果によれば、被告らの提出援用にかかる全証拠はたかだか田村新吉(田村商会)が「ドル買い」として若しくは投資のため本件東電債を買い入れ原、小玉、則武らに信託的に譲渡したということの想像的可能性を一応うかがわしめる程度のものではあつても、右事実の存在を断定するにはなお不十分のものといわねばならない。

三、他方、当事者に争いのない事実、成立に争いのない乙第一二号証に証人小玉俊夫の証言によつてうかがうことのできる次の事実、すなわち則武貞吾が、生前本件東電債は登録国債に借換えられて、原、則武、小玉名義になつているが真実は原告のものであり同人の財産保護の目的で則武が交換船で帰国した後、原、則武、小玉と三人に名義を分けて政府に登録した旨述べていた事実、成立に争いのない乙第八号証と証人滝公平の証言によつてうかがうことのできる次の事実、すなわち則武貞吾が生前滝公平に対し、本件東電債の登録について下高原に悪いことをしたと何回か述べていた事実、成立に争いのない甲第二号証、同第八号証の一、二、乙第二九号証の一、二、同第四〇号証の一ないし五と原告本人尋問の結果を総合してうかがうことのできる次の事実、すなわち原告は鹿児島県に生れ、鹿児島第二中学校を卒業後カナダに渡り、金貸しをしたり、日本雑貨の販売等をして産をなし、日系人の中では一、二の財産を有するようになつたこと、満鉄のボンド、フレンチボンド、カナデイアボンンドなどの債券を順次十数万ドルも購入し、本件東電債についても、記憶は十分正確ではないが、一九三〇年(昭和五年)前後数回にわたりバンクーバーの証券業者AJブラウン・アンド・コンパニー(この業者のあつたことは被告らも認める。)において二度くらいにわたり約五万ドル、“なかもと某”から約二、三万ドル、グランビルストリートの百瀬清八から約一万ドル、右“なかもと”を通じて他の証券業者から約五、六万ドル、日加貯蓄から約五、〇〇〇ドルなど総額一五万ドルに及ぶ本件東電債を購入して保管していたこと、その後利札はバンクーバー、或いはシアトルの横浜正金銀行か住友銀行で取り立て日本にも送金していたことがあること、一九三五年(昭和一〇年)妻との旅行のため(結局、この旅行は実現せず、長男長女を連れて日本を訪れ、二カ月半位の旅行をした。)に金一万ドルを日加貯蓄から借り入れ、その担保として本件東電債一五万ドルを提供し、その後借入金の返済はしたが、本件東電債は日加貯蓄にそのまま預託しておき、利札の取立てや利札金の内地への送金を委任していたこと、一九四一年(昭和一六年)に太平洋戦争が勃発する直前、本件東電債の返還を受けたが、開戦後日本人、日系人がバンクーバーから立ち退くことになつたため、一九四二年春頃モントリオールに移転し、同年五月一日頃本件東電債をカナデイアン・バンク・オブ・コマース・セントジエームスストリート本店保護預り箱に保管しておいたこと(甲二号証中に四月に保護預りの金庫を開設したとあるのと、同旨の原告本人の供述は乙第二九号証の一、二、同第四〇号証の一ないし五と対比すると誤りと認められる。)、以上の事実を一応うかがうことができ、これらの事実から推せば、太平洋戦争勃発前後に本邦に帰還した小玉、則武、原らが何らかの事情、たとえば、本件東電債が原告の所有に属するものとすれば、外貨債処理法第二条による借換えの対象とならず、(同法の規定の上では、借換えの対象とならない外貨債は、日本政府がその支払義務を承継することにはなつている((第九条))ものの)その先行きの運命に不安がもたれたところから、同人らが原告に無断で、原告の財産を保全する趣旨において、本件東電債が同人らの所有に属するものとして、大蔵大臣に所有証券証明書の発給申請をして借換えの手続を進めたという事実の可能性を否定し得ないものといわねばならない。もつとも、証人大山茂樹は、昭和の初年に原告が五万ドル以上の資産をもつていたとは到底考えられない旨述べているが、この証言は、単なる推測としか考えられない上、公文書部分の成立に争いがなく、これによりその余の部分を真正に成立したものと認める乙第二五号証の四中の荒川武男の、原告が明治時代にカナダにやつてきて一代にして巨万の富を築き上げた人である旨の供述記載とも対比すると信用することはできない。また、原告は、成立に争いのない甲第一号証によると、本件東電債を一九四二年以前バンクーバーに居住している間、二〇年以上にわたつて購入した旨供述し、成立に争いのない甲第四ないし第七号証によると本件東電債の第二回目の有効化申請においては、本件東電債をバンクーバー在住中、ブラウン・カンパニーよりジヤツキーロバートの手を通じて数回にわたつて投資のため購入した旨述べ、本件訴状においては、一九三〇年前後数年の間に数回にわたつてバンクーバーの証券業者ブラウン・アンド・コンパニーから購入した旨主張し、購入の時期、購入先につき、さきに原告本人尋問の結果により当裁判所がうかがうことができるとしたところと比べて一貫しないうらみがあるが、二〇年以上にわたつてと述べたのは、原告本人尋問の結果によると原告が本件東電債を含めて各種の有価証券を二〇年以上にわたつて購入しつづけた旨を述べたのを、本件東電債だけに限つて記載したものとも認められ、その他の点は、同本人尋問の結果と本件口頭弁論の全趣旨によると原告が訴訟代理人に事実を供述するのに充分意をつくさなかつたものとも認められるから、いずれもさきに当裁判所がうかがうことができるとした事実の可能性を否定する根拠とはならず、原告が本人尋問の際に本件東電債の購入先や購入金額を明確に特定できなかつたことも、時日の経過と原告の七三歳という年令とを考慮すればあながち無理とは思われない。また成立に争いのない乙第二四号証の三には原告が長男、長女を伴なつて日本を訪れたのは一九三六年七月である旨の記載があるが、この点については、大正一二年八月六日生れの長男が旅行中に満一二歳になり大人料金を支払つたことから一九三五年である旨の原告本人尋問の結果の方が正確で、信頼に値するものと認められるので、日本への旅行年代についての供述に喰い違いがあることから日本への旅行の事実(ひいて旅行のため原告が金具を借り受けた事実)を疑つてかかることも相当とは思われない。さらに、前掲乙第二五号証の四の「当時日加貯蓄は郷里送金を主としてやつていたが貸付けの方は州政府の監督がうるさくてあまりやつていなかつた、万とつくような貸付けが行われたことは聞いたことがない、また日本社債のような外債を担保としてとることは許されなかつた」旨の荒川武男の供述記載、及び証人小野勇の「日加貯蓄において原告からボンドを預つたということは全然聞いていない、原告に一万ドルを貸付けた事実もない、証券貸付の場合にはB・C州またはドミニオンカナダ政府のボンドを担保におかなくてはできなかつたはずであり、一万ドルもの貸付けをすると小切手を振り出し小野勇がそれにサインすることになつていたが、サインをした覚えもない」旨の証言によつても、当時の一般的取り扱いがそうであつたことをうかがうことができるとしても、原が日加貯蓄の「マネージメントデイレクター」であり同人と原告とはごく親しい間柄にあつたこと(これらの事実は小野証言により認めることができる。)などから考えれば、原告が何らかの手段により本件東電債を担保として金員を借り受けたという事実の可能性を否定し去ることはできないものといわねばならない。一万ドルの借入れに対し一五万ドルの証券を担保に供したということについても、原告本人尋問の結果によると利札の取立てと原告方の金庫が手狭になつたため証券の保管をかねて依頼する趣旨を含んでいたものとも認められるから、とりたてて異とするには当たらない。そのほか、原告本人尋問の結果には、本件東電債を日加貯蓄に預託してあつた間の利子の行方や、本件東電債を太平洋戦争勃発前に返還を受けた事情のはつきりしない点があつたり、前述のように、乙第四一号証の一以下によると本件東電債の利札は昭和一六年六月分まで取り立てられているが、同年一二月分の利札(同年六月一六日から同年一二月一五日までの利子)については、原告が返還を受けていないことが明らかであるのに(成立に争いのない乙第四四号証の一と同号証により真正に成立したものと認める同号証の二によると、この利札は切り取られて、シアトルのナシヨナル・バンク・オブ・コマースのG小玉、T則武名義の保護箱に保管されており、後に、ユー・エス・マーシヤルズオフイスの代表者に引渡されたものと認められる。)。原告が本件東電債の返還を受けたとき利札の不足分を請求したり、行方を尋ねたりした形跡が証拠上うかがわれないこと、原告が戦後日本にきて送金してあつた利子の払戻しを受けた旨述べているが、これについての供述が不明確であり、この点の立証も困難と思われないのに何んらの立証手段もとつていないこと等被告らの主張に有利とみえる点がないわけではないが、これらの点だけでさきに認定したような事実の存在の可能性を否定し去ることはできないものといわねばならない。

四、以上の検討の結果によれば、本件においては、田村真吉によつて買い受けられた本件東電債が小玉、則武、原らに信託的に譲渡され、原、則武が太平洋戦争勃発後本邦に引き揚げる際にこれを原告に預けたものであるか、それとも本件東電債はもともと原告によつて購入されて、一時期日加貯蓄に預託された後原告の手に返還されて原告がこれを所持していたものであるか、そのいずれが真実であるかを断定するきめ手となる証拠は遂にこれを発見し得ないものといわねばならない。とすれば、問題の借換えが行なわれた当時本件東電債を所持していた原告がその権利者と推定さるべきことは、右債券が無記名持参人払の有価証券であることの性質から生ずる当然の法理であるのみならず、民法第八六条第三項、第一八八条の規定からいつても、当然の結論であるといわねばならない。そして、原告がその後現在に至るまで右東電債(昭和一六年一二月一六日以降本件東電債の償還期限である昭和二八年六月一五日までの利札附のもの)を所持していることは、本件東電債であることにつき争いのない検甲第一ないし第一五〇号証によつて明らかである。してみると、原、則武、小玉らの手によつて行なわれた本件東電債の借換えは、その所有者である原告の承諾を得ることなく行なわれたもので、無効というべきであり、従つて本件東電債は右借換えによつて無効となることなく、当初から借換えが行なわれなかつたと同様に、外貨債処理法第一条、第九条、同法施行規則第一条、第一九条の規定により、政府(国)において、その支払義務を承継しているものと認めねばならない。

以上の結論に対しては、外貨債処理法第四条第一項に「借換ヘラレタル外貨債ノ証券ハ之ヲ無効トス」とあるところから、一旦借換えが行なわれた以上、有効化法によつて有効化の措置がとられないかぎり、借り換えられた外貨債証券は有効となることはあり得ないとの反論が一応考えられないではない。しかし外貨債処理法に基づく借換えの性質は、借換えらるべき外貨債の所有者の承諾により原外債契約の内容を変更する一種の更改契約と解すべきで、新契約が成立することにより旧契約が消滅するところから、旧契約に基づく債権の表象たる外貨債証券が無効となることを注意的に明らかにしたに過ぎないものと解すべきであるから、何んらかの理由により新契約が成立しなければ、旧契約も消滅することなく存続することとなり、従つて旧契約上の債権を表象する外貨債証券も無効となることはないものと解さねばならない。もつとも、本件においては原、則武、小玉らの三名が、大蔵大臣から本件東電債の所有者である旨の証明書の発給を受けた上で借換えが行なわれているところから、右証明の誤りであることが有効化法に基づく有効化の手続により公権的に判定されないかぎり、右証明行為の公定力により原告は本件東電債の所有者であることを主張し得ず、従つて借換えの無効であることを主張し得ないのではないかという今一つの疑問が残るが、すでに繰り返し述べたように、大蔵大臣の所有証明発給の手続は、当時の特殊な状況の下で証券を現に所持しない者に借換えを可能にするための行政上の便宜手続であつて争いのある権利関係を判定するにふさわしい手続構造をもつものではなく、原告はこの手続に参加しその権利を主張立証をする機会が与えられていたわけではないから、大蔵大臣の証明行為の公定力は原告に対しては及ばないものと解するのが相当であつて、原告は、有効化の手続をまたないで本件東電債の所有者であること、従つて原告の承諾を得ないで行なわれた借換えが無効であることを主張し得るものと解すべきである。従つて、借換えが大蔵大臣の所有証明の発給を得て行なわれたということによつては、前記の結論が左右されることはあり得ないものというべきである。それ故、原告の被告国に対する本件東電債一五万ドル及び外貨債処理法第一条、第九条、同法施行規則第一条、第一九条により政府がその支払義務を承継することとなる昭和一八年六月一六日以降本件東電債の償還期限である昭和二八年六月一五日までの利札金の請求は理由があることは明らかである。

なお、以上のように解するときは有効化申請に対する被告大蔵大臣の拒否処分の取消を求める利益がないかの如くであるが、大蔵大臣が有効化法に基づく原告の有効化申請を拒否することによつて、原告は、事実上、権利の行使に重大な支障を来たしていることは、原告本人の供述によつてもうかがわれるところであつて有効化法に基づき有効化が行なわれれば、右のような権利行使の障害が除去され、前記給付の訴をまつまでもなく、いつそう簡便に権利を行使し得ることとなるので、すでに、有効化法に基づく有効化の要件を具備しているものと認められる以上、有効化法に基づく行政上の救済を拒否すべき理由はないものというべきところ、前認定の事実関係と本件東電債につき穴あけ、記載事項のまつ消その他当該証券を無効とする措置がとられていないこと(この事実は当事者間に争いがない。)とによれば、本件東電債について有効化法に基づく有効化の要件がすべて具備されていることは明らかであるから、原告の有効化申請を拒んだ被告の昭和三七年四月三日付蔵理第二七五八号の処分は違法として取消しを免れないものといわねばならない。

五、原告は、さらに、本件東電債の償還期限の翌日である昭和二八年六月一六日以降元本完済に至るまで年六分の損害金の支払いをあわせて求めているのに対し、被告国は、本件東電債証券の呈示がない以上遅滞におちいることはないと主張するので、この点につき考えてみるに、本件東電債は有価証券であるから呈示がない以上、原則として債務者を遅滞に付する効果のないことは同被告主張のとおりであるが、すでに被告国において原告が本件東電債の所有者であることを争い、借換えの有効を主張して有効化の申請を拒んでいる以上、まずもつて、被告大蔵大臣の拒否処分の取消しを得た上でなければ、事実上、証券の所有者としての権利を行使し得ない状況にあることは前述のとおりであつて、右拒否処分の取消を求める訴訟は、訴訟の形式においては、証券の所有者であることに基づく金員の給付請求とは異なるものではあるが、実質的には、証券に基づく権利行使の手段とも解し得るものであり、右取消訴訟の提起によつて原告は、訴の手段により正規に、証券の所有者たることに基ずく権利を行使する意思を表示したものと認められるので、あたかも、手形金請求訴訟において、訴提起の際には手形の呈示がなくとも、後に訴提起当時から手形を所持していたことが証明された場合には、訴状送達のときにさかのぼつて被告に遅怠の責任を負わすことができるのと同様に、本件においても、拒否処分取消訴訟提起前から原告が本件東電債を所持していたことが証明されている以上、右取消訴訟の訴状の送達によつて被告国に遅怠の責任を負わすことができるものと解するのが相当である。従つて、原告の損害金の支払請求のうち、右取消訴訟の訴状が被告国に送達された日であることの記録上明らかな昭和三七年六月二三日の翌日に当たる六月二四日から、右証券額面金額支払いに至るまで商事法定利率年六分の損害金の支払いを求める部分は正当である。被告国は、右の各金員支払義務は、本件東電債証券(利札を含む。)の返還義務と同時履行の関係にあるから、原告において右義務を履行するまで右金員の支払いを拒絶する旨主張する。しかしながら、本件東電債証券のような受戻証券は、執行機関が執行の際所持して、執行後これを弁済者に交付すれば足りると解すべきであるから、この主張は採用しない。

よつて原告の請求を右の限度で認容し、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条の規定を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 白石健三 浜秀和 町田顕)

(別紙)

第一目録

一、東京電燈株式会社昭和三年六月十五日発行一九五三年六月十五日満期第一番抵当六分利附米貨組金貨社債

千弗券一五〇枚(額面合計一五万弗)

一、番号

自七九二至七九四

二六四六

自六七〇七至六七一六

自六七二三至六七二七

一二〇八五

一三六六二

自一九二四一至一九二四六

自二五四二五至二五四四四

三六五六六

三九九七九

三九九八〇

自四三〇五四至四三〇七四

自四三一二六至四三一九九

五七八二六

六七五一〇

六八二七五

六八二七六

六九〇五三 以上

第二目録

東京電燈株式会社昭和三年六月十五日発行一九五三年六月十五日満期第一番抵当六分利附米貨組金貨社債

第一、千弗券四〇枚(原分)

番号一三六六二

自一九二四一至一九二四六

自二五四二五至二五四四四

三六五六六

自三九九七九至三九九八〇

自四三一九〇至四三一九九

第二、千弗券五〇枚(則武分)

番号自四三〇五四至四三〇七四

自四三一六六至四三一八九

五七八二六

六七五一〇

六八二七五

六九〇五三

六八二七六

第三、千弗券六〇枚(小玉分)

番号自七九二至七九四

二六四六

自六七〇七至六七一六

自六七二三至六七二七

一二〇八五

自四三一二六至四三一六五 以上

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